1935年 3月8日- 忠犬ハチ公が渋谷駅前で衰弱死する。
なんとも悲しい出来事が起こった。
忠犬ハチ公はおそらく誰しもが名前を聞いたことがあるであろう。日本だけではとどまらず世界に感動を与えた話である。
忠犬の意は、飼い主に忠義な犬であり、飼い主の死後も、飼い主を生前と変わらずに待ち続けるといった実話に基づくことで、より感動を誘った。
言葉の通じない犬というのが、素晴らしく、人と犬だが心が通じ合っていた事がうかがえる。
近年は、子供への虐待などの痛ましい事件が相次ぎ心が痛くなる思いをする機会が多い。ハチ公に話を戻すと忠義を尽くすのは犬側の一方通行ではなく、飼い主側からの忠義も必ず存在し得たはずである。
犬とでさえ心を通わせる事ができるのに、人と、、例え子供とでさえも、通わせる事が出来るのは至極当然であり、ましてや血の繋がりがあればなおさらである。
しつけの名の元に繰り返される拷問。そもそも私は人をしつけられるほどの人間ではないが、子供は2人いる。
立派に育て上げたかどうからわからないが、弱きを挫く者ではないと信じている。しつけてきたわけではなく、ただ先に生まれた自分が知っていた事、知っていた方が良い事を教えてきただけであり、子供の将来になんも期待はしていないが、子供の事は信じている。私の事も信じてくれている事も信じている。信じ合えるのが忠義だと思っている。
おそらくいくら自分の子供でも、拷問を加えてきた子どもは忠義を尽くしてはくれないだろう。忠義を尽くしてほしければ、まずはこちらが忠義を示さねばならないはずだ。
自分の子供たちが、子供の子供に忠義を尽くしてくれるのを祈っている。
あぁ。こんな日はこれを観よう。。